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徳川綱義の年賀状

  • 2023年2月22日
  • 読了時間: 1分

年代

江戸時代 寛文二年(1662)~(1663)頃

詳細

【読み下し】 年頭の賀儀として、昨日はお出で、欣悦の至りに候、早々お帰り故、向顔あたわず候、なお面談の節を期し候、恐々謹言、

【現代語訳】 年頭のお祝いのために、昨日はお出でいただき、喜ばしい限りです。しかし、早々にお帰りになったのでお会いすることができませんんでした。なお、お目にかかれるときを期待します。恐れながら謹んで申し上げます。

【説明】 徳川綱義(尾張藩代三代藩主)から渡辺綱貞(旗本)への手紙 徳川綱義(綱誠)が「右兵衛督」を称したのが明暦三年四月~寛文三年十二月であり、渡辺綱貞が「大隅守」となるのが寛文元年十二月であるから、この書状は寛文二年(一六六二)または寛文三年(一六六三)のものと推測される。 渡辺綱貞は、初代尾張藩主徳川義直(家康の九男)の家臣渡辺重綱の六男で、寛永四年(一六二七)に三代将軍家光に召し出されて、小性組に列した(十六歳)。寛文二、三年当時は江戸南町奉行在職中である。 綱義が十一、二歳の頃で、渡辺綱貞は五十一、二歳の頃ということになる。尾張徳川家の家臣出身の綱貞が、江戸の尾張藩邸を年賀の挨拶に訪れた際のものであろうか。 なぜ黒澤家に伝わったのか不明ながら、後世の写しではないかと思われる。 文書番号 673

(東京大学 佐藤孝之教授)

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